
1914 | 山梨県東八代郡(当時)豊富村の禅寺 三星院に二男として生まれる。 |
1938 | 甲府一高を経て、東京美術学校(東京藝術大学)に入学。 藤島武二に師事する。 |
1940 | 芸大油絵科 研究科修了 在学中にペンネームを使って本の装丁、マッチ箱のデザイン、タバコのデザイン、挿絵などを手掛ける。池袋モンパルナスに住み、すでに知名度も高く収入も多く後輩を自宅で養っていた。 |
1945 | 満州に徴兵で赴き、終戦とともに、シベリアに抑留される。抑留中に収容所での美術、演劇活動に参加、さらにロシア当局に命じられ各地で制作を行う。 |
1954 | 帰国後、宮本みさ子と結婚。世田谷にアトリエを構え、画塾を始める。 第1次滞欧 パリのアカデミーグランドショミエールに2年間学ぶ。 |
1955 | パリ国際美術展 出品 画風はフォービズム。抽象絵画やゴシック聖堂、裸婦などを描く。 |
1956 | 帰国後 二紀会 同人推挙 銀座フォルム画廊にて滞欧作品展開催。アトリエの画塾も沿線で有名になる。 |
1961 | 二紀会のリーダー、宮本三郎画伯に可愛がられ、委員に推挙。 活発な制作活動を展開。複数のグループに所属し発表を行う他、上野松坂屋などで個展開催。 |
1965 | 第2次 滞欧 この滞在中にパリの市民権獲得 パリ、サロンデザンデパンダン展出品。 |
1967 | パリ ラカーズダ―ル画廊にて個展開催。その後帰国する。 帰国後 銀座 松屋にて滞欧作品展。 東洋の禅画と西洋の抽象画を融合させた、独自の作風を確立して画壇で有名になる。 |
1968 | 以降、毎年短期で欧州制作の旅に出る。 抽象作品のほかに、知名度を高くしたのは、当時まだまれだったゴシックの聖堂やロワールの古城をモティーフにした風景画で、人気作家となっていた。また、沖縄シリーズ、縄文シリーズなどの連作も手掛ける。 |
1972 | 世田谷の自宅、アトリエをリニューアル。 アトリエ開きを盛大に行う。画塾は継続拡大。 |
1975 | 二紀会 理事に就任。以後これを降板するが、終身審査委員となる。 新宿 小田急百貨店などで個展開催。グループ展、二紀会関係の出品多数。 |
1980 | パリ 郊外のアトリエ村に毎年夏に滞在、北欧各地などを回る。 |
1988 | シベリア抑留画美術展に多数の作品を出品、話題となる。 |
1989 | 山梨県立美術館に油彩画 軌跡 を寄贈。 この頃自民党副総裁より個人的な絵の指導を頼まれるが辞退する。 |
1990 | 二紀展のほか、世田谷在住画家展、グループ展に毎年大作を出品。 |
1997 | 最後のパリ滞在 83歳 |
2002 | 間質性肺炎で亡くなる。数日前まで教室での指導を行っていた。 |
2012 | アトリエより新たに寄贈された7点の作品がお披露目される。 |